世田谷城阯公園…>3、6
初代吉良氏が南北朝のころ、関東管領足利基氏(あしかがもとうじ)から戦の手柄により武蔵野世田谷領をもらいうけて、築城したのが始まりといわれる。平城で、三方を掘と土塁で囲んだ防備の頑固な城であった。今では緑の茂る丘のような公園であるが、その丘は土塁がもととなっている。

「…>番号」は参考となる風景づくりの基準番号を示しています。